鴫野駅(しぎのえき) - 鳥にまつわる地名

 大和川跡の干拓田

 大阪市城東区(じょうとうく)に鴫(シギ)の漢字を用いた、鴫野(しぎの)という駅があります。 次の3線の駅です。 鴫野は、駅のある辺りの地名です。
 ・JR西日本のおおさか東線(大阪外環状鉄道)
 ・JR西日本の学研都市(がっけんとし)線(片町(かたまち)線)
 ・大阪メトロ(旧大阪市営地下鉄)の今里筋(いまざとすじ)線
 大阪城の東方にあたり、今となっては建物しかないような場所ですが、大阪市のホームページには、鴫野について次のような記述があります。

「この付近一帯は、旧大和川(やまとがわ)と寝屋川(ねやがわ)が合流するデルタ地帯であり、大和川付け替え工事以降干拓が進んだ見渡すかぎりの水田地帯で、その水田にシギが群がっていたところから鴫野と名付けられたともいわれています。
 戦国時代からこのあたりを志宜荘(志宜野とも書く)という荘園名で呼ばれていました。・・・・・」
※原文に( )で振仮名を付けています。

 大和川の付け替え工事は17世紀頃の江戸時代に行なわれたそうです。 現在、大和川は、大阪城から南にはなれた、大阪市と堺市との境界付近を流れています。 付け替え前は、大阪・柏原市(かしはらし)付近から北流し、大阪城を西に見て淀川(よどがわ)に注いでいました。 付け替え後、干拓によって一面、田んぼとなった地域ということです。 ですからシギもたくさんいたのではないか、ということのようです。
 当時ならシギのいるような田んぼはいくらでもあったでしょうから、なぜここが、シギにちなんだのかが、知りたいところですが。 大和川の付け替え前の戦国時代から、「志宜荘」と呼ばれていたようですから、これに由来するのかもしれません。 「志宜」に「鴫」の字を当てた、単にそれだけかもしれません。

 見つけたシギは

 駅をはなれて、その周辺を歩いて、今もシギがいないか、探してみました。 漢字の「鴫」はたくさんいましたが、シギの姿は駅でのみ見かけました。 それは、駅の柱にいました。 湿地にシギがいる場面です。 いずれもタマシギで、ひな連れもいます。 やはり鴫野にはシギの姿がありました。

タマシギが駅の柱に
タマシギが駅の柱に

タマシギのおす親(右端)が威嚇(いかく)している場面
タマシギのおす親(右端)が威嚇(いかく)している場面

 その中になかなかの場面がありました。 上の写真の左上の4羽です。 下の写真はその拡大です。 小さなひな2羽と、翼を広げた2羽がいる、何気ない場面ではありません。 これは2羽のひなを連れた右下のおす親が、そのすぐ左上の個体を威嚇(いかく)している場面です。 おす親は頭を下げ、その個体に翼(つばさ)の上面を向けて広げています。 こちら側には尾を向けており、頭部は体に隠れています。 左上の個体は、驚いて翼(つばさ)を広げたのでしょう。 威嚇された側は、つばさの先の丸みからタマシギと思われますが、そうではないかもしれません。
 なぜこのような場面が書かれたのかは分かりませんが、この場面が分かる人に向けた暗号のようにも思えます。 駅の柱にある絵がそれということでしたら、なおさら興味深いです。 どのような経緯でここにこの絵が飾られたのでしょう。


< 関連ページ >
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鴟尾(しび)とは?
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< 参考リンク >
大阪市城東区:区内南西部 (…>区のプロフィール>地名の由来)

2025.11.22