明治時代の作家、夏目漱石(なつめそうせき)さんの随筆、「硝子戸の中(がらすどのうち)」には寄席(よせ)に訪れた際の記述に次のような一節があります。
「・・・・・中入になると、菓子を箱入のまま茶を売る男が客の間へ配って歩くのがこの席の習慣になっていた。
箱は浅い長方形のもので、まず誰でも欲しいと思う人の手の届く所に一つと云った風に都合よく置かれるのである。
菓子の数は一箱に十ぐらいの割だったかと思うが、それを食べたいだけ食べて、後からその代価を箱の中に入れるのが無言の規約になっていた。
私はその頃この習慣を珍らしいもののように興がって眺めていたが、今となって見ると、こうした鷹揚で呑気な気分は、どこの人寄場へ行っても、もう味わう事ができまいと思うと、それがまた何となく懐しい。・・・・・」
この一節にある「鷹揚(おうよう)」という言葉は「鷹(タカ)が揚(あ)がる」と書きます。
「鷹揚」を「広辞苑(岩波書店)」で引いてみますと次のようにあります。
一、(鷹が空を飛揚するように)何物も恐れず、悠然としていること。
ニ、ゆったりと落ち着いていること。大様。
タカが旋回上昇するさまをご覧になったことのある方なら、これらの意味がよく分かると思います。
京都・洛西では10種前後のタカを観察できますが、その上昇のさまは種によって少しずつ異なります。
この二つの意味の違いは種の違いによるものかもしれません。
一の意味はさしずめイヌワシでしょうか。
ニの意味はノスリを想起させます。
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トビ |
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店員がいないまま、お客さんまかせで商品が代金と交換されてゆく、いかにも悠長な商いのさまを漱石さんは「鷹揚」と評したのでしょう。 この一節での「鷹揚」の使い方は、海辺で「ピーヒャララララ」と鳴くトビが思い浮かびますが、いかがでしょう。
明治の漱石さんは今となってはこのような気分は味わえないとおっしゃっていますが、現代にはこのような"鷹揚な"お店があります。
それは野菜の無人販売です。
ご存知の方も多いと思いますが、家の軒先や畑の脇に設置した小さな棚に、野菜を並べ、そばに料金箱を置いただけのお店です。
野菜と代金との交換はすべてお客さんまかせです。
野菜の無人販売は洛西の郊外にもぽつぽつあります。
京都市右京区のいわゆる嵯峨野(さがの)、西京区大原野(おおはらの)、長岡京市、向日市などのいずれも西のはずれに多くあります。
名所の近く、すなわち人通りの多いところでよく見かけます。
季節により、大根、白菜、蕪(かぶ)などの野菜のほか、菊の花や柚子(ゆず)などもあります。
野菜の多くは\100です。
ありあわせの材料で出来た"お店"には、いかにも鄙(ひな)びた風情があります。
洛西をお訪ねの際には、どことなく歩いているとふと見つかる、この"鷹揚"な野菜販売へぜひお立ち寄り下さい。
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洛西で見つけた野菜の無人販売(少し傾いています) |
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< 参考リンク >
夏目漱石|新潮社 ※ 新潮社さん発行の夏目漱石さんの著作の案内です。
岩波書店ホームページ ※ 「広辞苑」
10.01.01 N