これは明治時代の作家、夏目漱石(なつめそうせき)さんの随筆、「硝子戸の中(がらすどのうち)」にある一節です。
「・・・・・軽い風が時々鉢植の九花蘭(きゅうからん)の長い葉を動かしにきた。庭木の中で鶯(うぐいす)が折々下手な囀り(さえずり)を聴かせた。毎日硝子戸の中に坐っていた私は、まだ冬だ冬だと思っているうちに、春は何時しか私の心を蕩揺(とうよう)し始めたのである。・・・・・」
※ 九花蘭・・・中国中南部、台湾原産の蘭(ラン)の一種のようです。
1914年(大正4年)、東京は牛込区(今の新宿区)早稲田南に漱石さんはお住まいだったようです。
その住まいの「硝子戸の中」からこの随筆をつづっていたそうです。
京都に住む私は、東京のその辺りの現状について明るいとは言えません。
新宿と言えば、東京都庁のあるところで、人工物ばかりの印象です。
今でも庭でウグイスが鳴くような家があるのでしょうか。
1914年ということは、今から100年近くも前です。
当時と現在では町の様子は全く違うでしょう。
それだけ東京の市中は今よりも緑が豊富だったことは間違いありません。
東京湾岸にも広大な干潟が残されており、無数のシギ・チドリが飛来していたのでしょう。
東京湾にはサカツラガンがまとまって飛来していたそうですし、ガン類も不忍池に飛来していたようです。
そう考えますと、庭でウグイスのさえずりが聞ける家は、別段、目を見張るほどのことではなかったのでしょう。
絶滅してしまったコウノトリやトキにしても、昔は国内に広くいたようです。
これらのことから推しますと、今から100年後の2109年頃には、2009年頃の鳥の状況をうらやむ未来の人がいるのかもしれません。
「硝子戸の中」は1914年1月13日から同年2月23日まで朝日新聞に連載されたそうです。 今回、取り上げました一節はその最終回にあります。 漱石さんは1月4日から2月14日まで、1日に1回分を書いていたことが分かっているそうです。 そうしますと、100年近く前、2月中旬に、「鶯(うぐいす)が折々下手な囀り(さえずり)を聴かせた」、すなわち、ぐぜっていたことがうかがえます。 現在もおおよそこの頃からウグイスはさえずりはじめますので、100年経っても変わっていないのでしょう。 ウグイスのさえずりは日長(日の出から日の入までの時間の長さ)の変化によるところが大きいことの裏付けとも言えそうです。
※ 「鶯(うぐいす)が折々下手な囀り(さえずり)を聴かせた」という一文は、春先にぐぜっていることが非常によく分かる表現です。 「折々」であまり連続してさえずらないことを、また「下手な囀り」でさえずりがうまくないことを表しています。 この二つを並べて春先のウグイスのぐぜりの様子を如実に表現していると言えます。 何気ない一文ですが、漱石さんらしい正確な描写力を垣間見たような気がします。
< 関連ページ >
マガンが洛西に飛来 ※ 森鴎外さんの「雁」についてふれています。
< 参考リンク >
夏目漱石|新潮社 ※ 新潮社さん発行の夏目漱石さんの著作です。
09.11.20 N