縄文時代の竪穴住居跡(たてあなじゅうきょあと)

 12月上旬、京都・洛西(らくさい)で行なわれた、発掘調査の現地説明会に参加しました。

 縄文時代晩期の竪穴住居跡(たてあなじゅうきょあと)

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直径約4mの竪穴住居跡(小さな穴が柱穴)
直径約4mの竪穴住居跡(小さな穴が柱穴)

 周囲は田畑なのですが、その地面から2m足らず掘り下げた面に縄文時代晩期の遺構が見つかりました。 縄文時代晩期というのは今から3000〜2500年ほど前になります。 竪穴住居跡、墓、炉跡、ごみ捨て場などが見つかり、当時ここに人が住んでいたことが明らかになりました。 住居跡は直径4mほどでとても狭いものです。 写真に見える小さな穴が柱を立てた穴です。

 糸魚川の翡翠、二上山の石、生駒山の粘土

石鏃(せきぞく)とサヌカイト石核(せっかく)
石鏃(せきぞく)とサヌカイト石核(せっかく)

ごみ捨て場の土(黒い点は炭化物)
ごみ捨て場の土(黒い点は炭化物)

 新潟県糸魚川(いといがわ)産の翡翠(ひすい)を用いた装飾品、大阪府・奈良県にまたがる生駒山(いこまやま)の粘土で焼いた土器、大阪府の二上山(にじょうざん)産の石を用いた石器なども出土しており、この時代にすでに物があちこちに移動していたことがうかがえます。 周辺は今は田畑の広がる平らな土地なのですが、当時はおそらく一面、森だったように思います。 そんな中、物がどのように移動していたのかについて想像をめぐらすと、道があったのか、何日かかったのかなど、不思議がたくさん湧いてきます。

 ごみ捨て場などから石器や土器の破片、炭化物(食べものなどを焼いたあとの残存物)などが出土したようですが、食料としていた生き物の痕跡は今のところ明らかになっていないようです。 土の成分を化学的に分析すると何かが分かるかもしれないということを説明されていました。

 開発と発掘

 この発掘調査は道路建設にともない、事前に行なわれているそうです。 田畑の真中を横断して敷設される道路です。 こうした洛西らしい環境が分断されるのに伴って、洛西の歴史の1ページがひも解かれるのはまことに皮肉です。


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2008.02.01